Aさんに逢う
昨日、数年ぶりにAさんを訪ねた。受付で
私 「A先生 いらっしゃいますか」 「はい いらっしゃいますよ」 そして すぐ なかからのそうさか、中が外からよくみえるドアが開いた。
Aさん 「や~ なんだーー しばらく 」 私 「連絡をしてからくると 忙しいからと断られそうだったので ダイジョウブ いそがしいんでしょう 」 Aさん 「二三十分待てる 時間あるの こっちーー 」 私 「 うん いや ホールでいいよ 」 Aさんエレベーターで消えた 二十分くらいで Aさん 「やあ~やあ~ お待たせ ここでいいの」
私 「特別用事が有った訳じゃないが どうしていらっしゃるかと U先生どうしています 」 Aさん 「 うん 元気だろ~ 此処のところ ぜんぜん逢っていない 週一回向こうの病院で まだ働かせられているみたい 。 こっちも定年とっくに過ぎて でも引っ張り出されているよ あさ八時半までに入らないといけないんだ 倅のところから通っていたころは六時半出だった 今は近くに住んでいるよ 」 私 「E先生 年賀状くらいは有ります?それから。。。 」 Aさん 「M 君 秋田で頑張っているみたい Kは山形か ここは連絡センターかなあー もうこっちもらくしたいよ 歩かないせいで足が駄目になってきたよ うん Eさん どうしているかな~ 」 。 UさんとEさんが、高台の神社と植物園の坂を上りきった少し先の、戦災にも遭わなかった古い家の二階の一間を借りていた。月のうちに一二度くらいしか帰らなかったので、わたくしはそこに厄介になっていた。UさんとEさんは研究と夜の仕事でほとんと帰らなかったのである。Eさんは精神科が専門だったが、内科や小児科でも働いていらしていた。定年前は国立のそっちこっちの所長をしていた。だいぶお世話になった時代だった。
Aさん 「なにか 」 私 「いや ここではりっぱなニュウスをだしているんですね ホームページも 」 Aさん 「ううう 今は便利になったね 薬なんかを調べるのに つい最近まではあの厚い重たいのを引っ張り出して いまは楽になった。でなにか」PCの話になった
私 「このニュウースのホームペイジに こんなのを送ったが なしのなしのつぶてだったよ 」 Aさん 「もう 俺は定年で一度此処を離れているから 発言権は無いんだよ でも 云って置くよ はハハ 」 所長奮闘記(7)に 聞き手ー機関紙委員会担当理事 として Aさんの「真面目な取り組みを理解し、快く応じてもらえる世情であった」との記事と、A先生の顔写真と一緒に乗っていた。
Aさん 「名刺をとってくるよ 」そしてわたくしに 「めいしは?」 私 「今度作っておきます 」 でも本当は、そんなものはわたくしには必要ないと思っています。
Aさん小さな声で 「ここの患者は 複合的な病が多いので 若い先生でも大変だよ 四六時中 気が抜けん仕事ですよ 」 。 そして事務所から 迎えにこられた 「先生 済みません」と わたくしは三十分くらいは居たのかも。
此処の施設は新しく出来たばかりのようだ。結構大きい施設ほうでしょう。二十四時間緊急の用事が多いとAさんは話されて去られた。わたくしはお別れをしてきた。この場所は「沢」ではないが、両側とも高台である。
帰りにもう1軒拠った。Aさんより年配者 よくお邪魔をするお家である。一人で生活をしているのですが、自分のマンション1Fで仕事をしてい方です。マンションの掃除や午後からの食事は、大変良いおばさんが、お手伝いをして下さっている。別に所帯をお持ちの娘さんが二人、時どき来られる。A先生よりは、心身ともにこちらの方が良い。
「新茶が入った。煎れるからあがっててよ。メシ食べていけよ。なにがいい」。普段でも此処のお茶は高いのを買っているのだろう。本当に美味しい。何時もだがご馳走になって帰ってきた。雨もあがった。
帰りに、高速バスの乗り場は、連休の人々のためでしょう。ごったがえしていた。
今日は五月晴れだ。
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