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賢治参考図書

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2006-05-13

弥助橋について

 宮沢賢治の作品中に「弥助」名はない。春と修羅 第三集の七三五 饗宴 1926,9,3、や、その下書稿、それに「饗宴が改稿されて作品番号 日付を失った作品」 {皆は酸っぱい胡瓜を噛んで}等の下書稿と、文語詩 未定稿中の饗宴には、「赤砂利を盛れる土橋」などとは記されているが、「弥助橋」の名はないのである。これ等の作品中には「弥助」名はないが、饗宴の舞台の橋は、此処の場所の橋で間違いない。この場所に立てられた「標柱」は、市の観光課でも記念館でも関与していないとのことだが、羅須地人協会跡地の詩碑に訪れる方の、最初で最も目に入りやすいところである。この土橋は、十字路につらなる主要な橋にも関わらず、かっては丸太を並べて架けられた粗末な橋だったと聞く。事故がおきたのである。橋の南側は、太い松ノ木が、路地のほうに根を露にしていた。その根もとは赤砂利だった。いまは沢に流れる小川(堰)も、そして周囲も一変し、面影さえ感じられなくなった。だいいちに「田」や「苗代」がそして「林」が無くなったのである。賢治の考えていた「農」は、「観光」と「歌声」にヘンシンしたのだろう。夕暮れどきでか淋しかった。

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