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賢治参考図書

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    21年は一市は花巻村です。

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2006-06-04

寄道

 今回も少しまた寄り道をします。寄り道・道草、こんな楽しいことって子供のころはよくありました、いいえ、今でも買い物・井戸端とそれに似たようなことって皆さん、どうです?。おありですよね。  これからのお話は賢治とは関係がない清水寺の杉林のはなしです。

 浄法寺町のT寺の屋敷林が、住職の遊興費のために丸裸になったとのことですが、あの太田の清水さんの屋敷林千年杉も、それと似たようなかたちで、ときの住職によって戦後まもなく伐られたとの風説がありました。わたくしはあの素晴らしい杉林がなくなった事が残念でなりませんでした。あそこの杉を伐った「会社」のかたに最近お会いしましたので、失礼とは存じましたが、意を決してお聞きしました。そのことをここでおはなしいたします。

 こういう事だったそうです。戦時中、それも戦争末期のころでしたが、国家総動員法とかで、梵鐘も屋敷林も「献納」と言うことで、国のほうに納める事になっていた。しかし、あの大木を機械力も人手もなかった時代だったので、そうこうしているうちに終戦になった。 ところがどういう訳か湯口や湯本の人たちに、米1表幾らという形で杉の納め先が決まっていたとの事です。杉の直径が七尺から八尺程の物も有ったそうですが、それは戸板用に使用されたのが大部分、他は建築資材となった。父の手帳が有ったので、最近だが、戸板は現在どうなっているか探し歩いたが、旧家は総て建て直されたために皆無であったとの事でした。唯一清水寺の屋敷林が使用されて残っているのは、谷村新興の社長の家だけとの事でした。金の流れは私には解からないとの事でした。落雷やら空胴のためなどの杉も結構多かったとも話されました。ご住職の遊興費に使われたとは思はない、とのお話でしたが、いまいちわたくしにはよく理解できませんでした。あれも一つの時代だったのでしょうか。平地でのあのような杉林は二度と見られないのが残念ですね。あの辺の水の流れも変わったと、農家の古老の方がささやかれていたのが印象的でした。

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