高村山荘について
昨日は、「境内」の作品は作者がいつごろ清水寺に行かれたのかを考えてみたのでしたが、結論をだすまえに、ここで少し寄り道をしてみたいと思います。
「その南の三日月形の村(2)」に、清水寺についてお書きになられたあとに、高村光太郎に触れているところがあります。{「高村山荘」は、高村光太郎が宮澤政次郎氏の招きによって昭和二十年から七年間を暮らした小さな庵です」}と記されていますが、高村光太郎は戦災に遭われた為に、たしかに一時期宮澤家にご滞在なされていたのですが、宮澤家も終戦まじかに戦災で消失。そのため佐藤隆房氏のところに<避難>していたのを、佐藤勝治氏が、「高村山荘」に招聘したのでした。佐藤勝治氏は、山荘の隣にあった分教場の先生で<分教場が先にあったのですが>、 ここは「風の又三郎」に出て来るような小さな分教場でした。一時期は奥さんと二人で子供らをみていたようですよ。あげあしとりにお感じになられましたならご容赦下さい。わたくしは佐藤勝治さんの為にと考えるものです。
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