変動期時代と幸福
ある意味で幸福である時代とは、唯一の価値のもとに、一定の思想体系が組織されて、しかもその思想が社会をほぼ一様に覆っていた時代、そういうふうに考えられる時期のことであると思う。しかし社会はそれ自体、成長し、円熟していきます。そしてやがて衰退してゆく、何と言うかつまり移行して行く生き物でしょう。私の半世紀に渉る昭和史とそして新しい世紀初めに身をおいた内面の旅路も、幼少期に得たものが、観念的弁証法も、革命えのユートピアもニーチェおも凌駕していたのだ。人は自らの内面にアートマンを見だしたときに輪廻の鎖が断たれるという。変動期やある意味での転換期に、変動の収拾も、価値体系の定着も成し得なかった。次のきかいは何かを克服しようとし、生ける証に挑戦したかを考えてみたい。私の幼児体験は、仏教は常にニヒリズムに抗して闘ってきたのであるということに、どのように向いあえるのでしょう。
「日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事
- 父の事故(2011.01.06)
- 箒(2010.02.24)
- 松田甚次郎と南城小学校の事(2009.08.16)
- 休息・お詫び(2008.03.06)
- ドイツトウヒの森(2007.10.21)


コメント