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賢治参考図書

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    21年は一市は花巻村です。

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2006-09-13

旱と自然法爾

八月五日に、ある所で「雨ニモマケズ」について話すきかいがあった。昨年ころまで良く「ひでり」について話題になっていたので、その事にも少し触れた。

私は子供のころに、羅須地人協会の「雨ニモマケズ」の詩碑のある近所で育ったせいか、何かがあると思い出される詩である。

二三十年前のことであった。見た本のなかにとても気になった本があり、やっとみっかったので少々長いが引用をさせて頂き、出来ればお付き合いをお願いしたい。

 [ 『説法詞料鈔』 という本がある。これは江戸期享保年間に、ある浄土真宗の僧侶が、説教の便に供さんがための材料を集めたものであって、そこに仏教の教義を説くための有益な譬喩がたくさん収められている。その一つに「田畑植物の喩」というのがある。それを紹介してみるとこうである。

  「譬えば田畑(でんぱた)の植物(うえもの)は、旱(ひでり)には枯れ、雨降ればそだつ なり。これは人力(じんりょく)によりて植えたるゆえなり。路辺に生いたる春草は、土より自然(じねん)に生じて人力によらず。かかるがゆえに大地のうるおいのゆえに旱にも枯るることなし」

  これは当時のひとびとなら、誰でも熟知していて疑うことのできないことがらを、譬えとして利用したものである。しかしこの譬えはなんの喩えであろうか。それは、いうまでもなく浄土真宗の根本的教義である他力の信行の譬えである。つまり譬喩にみられる「人力によりて植える」は「自力によって善根を植える」ことの譬えであり、「自然に生じて、人力によらず」は、「他力の信行・自然(じねん)の大行」の譬喩である。

  かつての日本の水田耕作の農民はだれしも旱害に苦しみ、しかもその際稲は枯れかけているにもかかわらず、野生の草木はなお青々と茂っているのに驚嘆するという経験をもったことであろう。そして日本の農民たちは、そうした原体験を踏まえたうえで、他力行の教え、自然法爾の教えを自らの血肉に化したのである。」]  つづく

  

  

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