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賢治参考図書

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    21年は一市は花巻村です。

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2006-09-15

羅須地人協会と「桜」

 賢治の羅須地人協会時代の「桜」の集落は、「向小路」(賢治の作品に同心町と書かれている所)も「松原」も今のように桜には含まれて居なかった。稗貫郡花巻町大字下根子字桜で、向小路も松原も外台も「字」地である。

 「桜」は、大半は農民であった。大正時代になって宮澤家と「玉川屋」(照井)がこの桜に別荘を作った。「玉川屋」の別荘は、庭園にはひょうたん池があり立派な太鼓橋が架けられていた。その池には掘りぬき井戸で絶えず水が出ていて、当時としては珍しい緋鯉等も買われていた。周りには染井吉野が植えられて、春の桜は見事であった。ここも宮澤家の別荘と同じ高台で、北上川岸から望むと誰にでも直ぐに確認できるところであった。この玉川屋の別荘は、北上川から豊沢川に上った「兵舎」への上り口の「お水ちゃん」と呼ばれていた滝清水神社から、宮澤家の別荘までの中間崖上で、北上山地を望む絶好の場所でもあった。胡四王山や早池峰山が何時も見え、また朝日を拝める場所であった。

 宮澤家の別荘のある場所は、『八景』と呼ばれていた「桜」内の小地区の所で、この『八景』の場所は宮澤家別荘の北側の松林(今の賢治碑の北側は赤松の大きな林で、下芝は綺麗に整備されていた所であった)の「かっぱ沢」に流れている小川を境にした南側小台地から、宮澤家の別荘の崖にそった旧国道内側の処である。戸数は六軒ほどであった。

 『賢治と「かくし念仏」』を語るときは、当時の桜を知ることが大事であろうと考える。

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