フォト
無料ブログはココログ

賢治参考図書

  • Img_0215
    21年は一市は花巻村です。

« 秘事念仏関連について | トップページ | 「法印の孫娘」を読む »

2006-10-16

[桜]の治サさん

写真はNo_026_1 『かくし念仏考 第二「渋谷地之系図」(331頁) 』の図(マウスポインタで拡大してご覧下さい)

「羅須地人協会時代」の賢治に最も近い{念仏信仰指導者}(矢印のところ)

伊藤治三郎は、「八景のジサさん」と呼ばれていて、「桜」のみならず「里川口町」にも所謂「隠し念仏」をひろめていた。

 以前「賢治記念館」に、学校の教師退職後、「市」から「派遣」されてお勤めをしていた大畠勉先生が、「治ささんが来ておがむんでもらったのを、覚えている」と語られた。氏は南城小学校の先生もされた「花農」出で、「桜」もよくご存知のかたであった。当時はたしか大工町がお住まいだったと思う。

 豊沢町に住んでいた佐藤勝治氏は、『やさしい研究 賢治文学のよろこび』(1987年夏)「賢治と私の生家のある花巻町豊沢町の思い出」(一)に、「・・・私は五、六歳の頃、かくし念仏で仏前で誓いを立てていました。」(46頁) と、当時のことをお書きになっている。

 伊藤治三郎は、娘に「婿」をとり、その子供に「寿」と命名した。No_022_1 治三郎は渋谷地派 九代「及川本師」として崇められていた及川 寿の名を、自分の孫につけるほどの信奉者だったのである。

 伊藤寿には、妹がいた。寿は昭和六年生まれである。

 「春と修羅 第三集」『詩稿補遺』の「法印の孫娘」は、桜の「秘事念仏者」治三郎との関連はなかろう。

« 秘事念仏関連について | トップページ | 「法印の孫娘」を読む »

宗教」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/175783/12304339

この記事へのトラックバック一覧です: [桜]の治サさん:

« 秘事念仏関連について | トップページ | 「法印の孫娘」を読む »