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賢治参考図書

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2006-10-10

「隈」について

 八月十五日の「幼児体験」の思い出から、宮澤賢治の『春と修羅 第三集』に触れて来たが、羅須地人協会の地 「桜の人々」に触れない訳にはいかない。「隠し念仏」と「村人」についてである。

 「隠し念仏」の指導者と、所謂一般の「村人」とを一緒くたに視ることからは、この時代の賢治の活動は正しくは見えてこない。

 「桜の人々」は、賢治の「羅須地人協会」時代に、「隠し念仏」の渋谷地派の勢力範囲内にあったが、誰がどの様に活動していたかについては、従来の賢治研究者には把握されずにまことしやかに記されている。しかも「春と修羅 第三集」の個々の作品の土地勘を無視した賢治研究者には、あきれ果ててしまう。

 「春と修羅 詩稿補遺」の『憎むべき「隈」弁当を食う』の詩に記されている「隈」は、筑摩書房の<賢治全集別巻『草野心平編 宮澤賢治研究』(昭和三十三年八月十五日発行)に「先生と私達」を書かれた伊藤克己氏の父である。詩の題材の「隈」は、伊藤熊蔵であるが、秘事念仏の大師匠」でも、「元真斎」でもない。『「饗宴」の舞台』になった家の当主である。森荘己池「宮澤賢治の肖像」に記されている「隠し念仏」者を、『「隈さん」を氷山の頂点』と見るのは、恣意的観念で詩の曲解である。

 桜での『隠し念仏』の「指導者」については、次回に記す。

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