「下ノ畑」追記
『 「春と修羅」第三集 』に、「1043 [ 市場帰り ] 」があります。
賢治「三集の時代」に、花巻に「市場」が有ったかどうか。もう少し具体的に言うと、「野菜市場」が有ったかどうか。野菜や花の市場は無かったようです。
「詩ノート」は [ 水仙をかつぎ ] でした。「村農ヤコブ」が、「白と黄」色の水仙」を背負い籠に入れて「売って来た」のでした。「ぼくもいまヒヤシンスを売ってきたのです」。
「文語詩」では「村道」の題名です。
野菜や花の市場ではなく、それを売買してくれる所は、上町の大きな角店「大正屋」でしょうと思われます。
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» 「市場」のあった場所 [宮澤賢治の詩の世界 ( mental sketches hyperlinked )]
下根子桜時代の賢治は、「下ノ畑」で自ら作った野菜や花卉をを、朝早くからリヤカーに積んで運び(「〔同 [続きを読む]
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