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賢治参考図書

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    21年は一市は花巻村です。

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2007年1月

2007-01-15

ほんとのおれの仕事

 「二集」の「序」には<水稲肥料の設計事務所>の計画を考えたり、そして「本当の百姓」になるための「農民芸術概論綱要」構想で、新しい農民文化の形成の志を立てて、桜に「羅須地人協会」の活動を始めるのである。

 石鳥谷で「稲作肥料の設計事務所」を開設し、湯本や飯豊等では「農業技術の指導」をもおこなう。それから文化活動として、戦後に大学生がセツルメント活動を行なったような「子ども会」的な事を「独居自炊」の「別宅」ではじめたのである。

 「本当の百姓」といっても、「カラ」と呼ばれていた北上河原の砂地で、小灌木や一部に熊笹とばらの小藪のところを開墾をしているのである。祖母に聞いた事があるが、「あそこは半分以上草パラで、月見草などが良く生えていた」と話していたが、定かではない。土手と一部が牧草を刈る場所でも有ったようだ。教え子の菊地信一に、開墾当時のことを語っているが、最初の頃は「やつと二坪ばかり、その次の日も二坪ちょっと・・」「今では十坪位は楽ですよ、」と話している。田は耕作に至らなかったのである。

 「詩ノート」 1016 [ 黒つちからたつ ]  1927、3 、26 、 

  きみたちがみんな労農党になってから

  それからほんとうのおれの仕事がはじまるのだ   (前後略)

 賢治は「羅須地人協会」を創めてから一年で、「仕事」との観念の明別の意識は、実践よりも極めて直感的な把握の仕方で先行的認識が行なわれていったものとみえる。仏教でいうレンマ、文字通り「把握」「先をとらえ」ていく複眼的思想である。胸中に秘めた意思表明が、俗に言うとどんどん沸いてくるのである。

 次回から、「春と修羅 第三集」について、フィクションもみられるが、もう少し「場所」のことや「どこからの眺めか」を、事実に沿って読んでみたい。

 

 

2007-01-13

第三芸術

 「本当の百姓」 百姓だけではなく、働くという事はそれが工場労働であれ、農業の仕事であれ、労働そのものが創造性を有し、快適な環境でなされるときは、灰色であり無意味であることがなくなる。「春と修羅 第三集 詩稿補遺」に、農民芸術の真髄ともとれる詩がある。

   第三芸術

 蕪のうねりをこさえていたら

 白髪あたまの小さな人が

 いつかうしろに立っていた

 それから何を蒔くかときいた

 赤蕪をまくつもりだと答えた

 赤蕪のうね かう立てるなと

 その人はしづかに手を出して 

 こっちの鍬をとりかへし

 畦を一とこ斜めに掻いた

 おれは頭がしいんと鳴って

 魔薬をかけてしまはれたやう

 ぼんやりとしてつっ立った

 日が照り風も吹いていて

 二人の影は砂に落ち

 川も向ふで光っていたが

 わたしはまるで恍惚として

 どんな水墨の筆触

 どういふ彫刻家の鑿のかほりが

 これに対して勝るであらうと考えた

 突然現れて、みごとな農作業を示された白髪の小柄な老人。見事な手さばきに「わたしはまるで恍惚として / どんな水墨の筆触 / どういふ彫刻家の鑿のかほりが / これに対して勝るであらうと考えた」とある。この詩は賢治研究者に諸所の「第三芸術」論として取り上げられているので、此処では省略するが、労働と芸術が理想のかたちを為すものとしての意識がはたらいている。「本当の百姓」の認識のあらわれである。

2007-01-12

本当の百姓

 賢治は農学校の職をやめて、桜の別荘で一人っきりの自炊生活を始めるとともに、「本当の百姓」になるため、自ら畑を耕し始めたとある。「本当の百姓」とは普通に考えてどのようなことだろう。

 百姓とは農業で生活をしている人、農業をいとなむ人、農民のことぐらいは誰でもご存知である。賢治の考える「本当の百姓」とはどんな百姓か。それは言わずとも知れた「農民芸術概論綱要」一連の内容の事である訳だ。

 「本当の百姓」になるために、冒頭で記したように桜で「自給自足経済を試みる」と研究者に記されている。「稲作挿話(未定稿)」では「陸羽百三十二号」などや、石鳥谷での「肥料相談」等をも行なう。だがすでに「春と修羅」第二集の「序」に「水稲肥料の設計事務所も出して」ともある。

 桜の人の中には、畑を耕して生活をする人を百姓であると思っているのが多かったと考えられる。なによりも「饗宴」がそれを物語っている。

 「下ノ畑」で作られた作物は、「物々交換」の気配は管見では見当たらない。毎日の生活に必要な「一日ニ玄米四合」はどこで入手したのだろう。「花」は良くくれてしまう。自分でも「半人前」とも考えている。つまり農作業は畑仕事よりも「米作り」が難儀であった。当時の農作業は現在とは違い、機械化が未発達の時代である。「部落」的共同体作業なくしては不可能であった。農作業実践の指導は桜での活動よりも、近在での活躍にならざるを得なかったのである。「三集」はそれを物語っていると思う。

 いま賢治とともに「本当の百姓」を、もう一度考えてみるべきであろう。 

2007-01-04

賢治の居場所

 一日の朝日新聞「天声人語」は、花巻をかたっている。ご覧になっていない方に、一読をお薦めしたい。

この短い文章に脱帽である。

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