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賢治参考図書

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    21年は一市は花巻村です。

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2007-01-13

第三芸術

 「本当の百姓」 百姓だけではなく、働くという事はそれが工場労働であれ、農業の仕事であれ、労働そのものが創造性を有し、快適な環境でなされるときは、灰色であり無意味であることがなくなる。「春と修羅 第三集 詩稿補遺」に、農民芸術の真髄ともとれる詩がある。

   第三芸術

 蕪のうねりをこさえていたら

 白髪あたまの小さな人が

 いつかうしろに立っていた

 それから何を蒔くかときいた

 赤蕪をまくつもりだと答えた

 赤蕪のうね かう立てるなと

 その人はしづかに手を出して 

 こっちの鍬をとりかへし

 畦を一とこ斜めに掻いた

 おれは頭がしいんと鳴って

 魔薬をかけてしまはれたやう

 ぼんやりとしてつっ立った

 日が照り風も吹いていて

 二人の影は砂に落ち

 川も向ふで光っていたが

 わたしはまるで恍惚として

 どんな水墨の筆触

 どういふ彫刻家の鑿のかほりが

 これに対して勝るであらうと考えた

 突然現れて、みごとな農作業を示された白髪の小柄な老人。見事な手さばきに「わたしはまるで恍惚として / どんな水墨の筆触 / どういふ彫刻家の鑿のかほりが / これに対して勝るであらうと考えた」とある。この詩は賢治研究者に諸所の「第三芸術」論として取り上げられているので、此処では省略するが、労働と芸術が理想のかたちを為すものとしての意識がはたらいている。「本当の百姓」の認識のあらわれである。

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宮澤賢治」カテゴリの記事

コメント

先ほどコメントしましたが、うまく送られなかった様なので、もう一度要約してお送りします。
 貴説の「第三芸術」のご理解は正しいし、全く賛成です。それはモリスの「生活芸術」の考え方です。賢治は、モリスが工藝を中心に「労働の芸術化」「芸術の労働化」を主張したのですが、賢治は農業を農芸、園芸として、「本当の百姓」の労働としていたと思います。伊藤与蔵さんの「聞書き」でも、むかしは村の祭りの歌や踊りが農民のものだった。ところが近代化、商業化、工業化の中で、歌や踊りが職業芸術家の独占するものになり、農民には「米作り」のような、「生産労働」だけが残され、その結果が今日農業の切捨て、農村の崩壊につながっている。
 この点で、お勧め頂いた多田幸正「宮沢賢治とウィリアム・モリス」読ませていただきましたが、モリスの労働観=芸術観に対して賢治にあっては「芸術と労働とが截然と区別され、二つのものが全く異質なものとして、それぞれ別個に把握されていた」と主張されます。
 もし多田氏のようにモリスの考えに賢治が対立し、反対なら、賢治はモリスを批判するか無視するはずです。誠実な賢治ですから。
賢治の「第三芸術」は、モリスの生活芸術の芸術観=労働観の継承発展だと思います。
 問題は、なぜ多田氏が無理にモリスと賢治を引き裂こうとするのか?次に書かせて頂きます。

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