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賢治参考図書

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    21年は一市は花巻村です。

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2007年3月

2007-03-13

「時期」と「ス」

 「宮澤賢治の詩の世界」の浜垣先生から、コメントを戴いた。

 賢治の作品「林学生」の書いた時期と、ジェームスの「ス」の濁らないご説明があり、小生の考えが間違っていることが解りました。賢治は「種々」のほうを読まれた可能性が高いということを、ご教示いただきましたことについてお礼を申しあげます。

 これからも間違いだらけの事を書くと思います。何方さまもお教えくださいますよう、お願い致します。

2007-03-10

活動的経験

 「われわれは現在、科学や技術という言葉が、日常語として十分通用する世界に住んでいる。しかしこれらの言葉の、日本語としての歴史は意外に短いものである。五十年、百年と歴史をさかのぼってゆけば、まず技術という言葉が、いずれ科学という言葉も、どこかにまぎれこみ、ついには姿を消してしまう。明治維新のころまでゆくと、もはや科学・技術という言葉の存在しない世界へふみまようことになる。」辻哲夫著『日本の科学思想』の書き出しです。賢治の時代を考えさせられる文です。賢治が「化学本論」やオストワルドの新しい知識を得ると同時に、ジェームズに感心を示したのに付いては頷けます。先生の仰るとうりで、「語彙辞典」でも取り上げていますから、ここではこれ以上は省略させてもらいます。「多元的宇宙」の附録「活動的経験」には、「感覚乃至感情」や「物理的な諸現実」の類別、また「心理的な要素・・・感覚的効果・・経験群の認識論的規範を探求するのでなくして認識の印象性を追及する」等が述べられているそうです。感心のそそられるところです。

 001スピリチュアリズムについては、ジェームスからよりもメーテルリンクやオリバーロッヂか002_1 らではないかとかんがえています。エマーソンと同じ玄黄社から「死後は如何」「死後の生存」が出ています。ただ賢治の神秘思想についてはどなたかがお書きになっていますが、ジェームスとの関連は書かれていなかったように記憶しています。もしお解りになりましたならばご教導お願いしたく存じます。

2007-03-09

ジェイムズ

 「宮澤賢治の詩の世界」に、『ウィリアム・ジェイムズと「宗教のふるい分け」』と題して賢治とジェイムズについて、いままでの氏の論の総決算ともとれるようなお考えがのった。このコーナー(ホームページ)のオーナーは精神科医で、ジェイムズについては専門のぶんやである。わたくしは賢治を考えるときに真っ先に先生のこのホームページを利用させていただいている。医学についても賢治についてもまったくの素人の私がこれに触れるのは、きがひけるが意を決して少し触れたい。

 先生は2005.5.21年に「ウィリアム・ジェイムズ名前いろいろ」と題されて「春と修羅 第二集」の作品に触れ、「ジェムスの翻訳書は、この『宗教的経験の種々』である可能性が高いのではないかと私は思うのです。」と制作年代等に触れながらお書きになられている。

 わたくしはどうも先生のご指摘の本ではなく、比屋根安定譯「譯全 宗教経験の諸相(人間性の研究)」のほうではないのかと感じています。(いくつか写真を上げておきます)004 002 006 006_1 008 012 011_1 014 014_1

ここに四種類の本があります。ご覧になりにくいかもしれませんが少しだけ説明します。

 西田幾多郎の序がある「宗教的経験の種々」と、同じ西田の序がある「宗教的経験の諸相」は、発行所がちがうのと、訳者の序文のちがいだけで、内容は同じです。

 もう一方の比屋根の譯は、これも発行所がちがいますがなかの内容は同じで、新しいほうは索引があり便利かもしれません。(ここでは岩波の文庫本及び「全集」は別に考えます)

 西田が薦めるのには「漱石とジェイムズ」との関連や、賢治とにおよぼした影響はないとはいえないでしょうが、『種々』のほうには第十講までで、聖テレサや十字架の聖ヨハネの記されている第十一講から十五講までがないのと、それいごの「神秘主義」等がなかったのです。警醒社書店版は大正十一年十月発行ですから、こちらのほうが賢治好みに見えます。(ヨハネとテレサについては以前少し外で触れたことがある)

 賢治好みと書きましたので余談ですが、こんなことを思い出しました。大正七年六月九日にオストワルドの「無機化学原理」(英訳)を仙台で他の著書と一緒に買い求めていることが年譜に出ています。オストワルドの「近世 無機化学」は明治三十七年にそして、四十一年に再販された千六百頁もある本で 約七センチもある厚い本ですが、それを彼は見ているはずであるにもかかわらずであるのです。池田菊苗の訳は「売価金四円五十銭」であった。仙台での賢治は「この時に買い求めた本は四冊 十六円五十銭で、なお二冊原書の取り寄せを丸善に依頼」とあります。(つづく)?

2007-03-05

火の見櫓

 豊沢橋を渡り、松原から旧国道の向小路(同心屋敷通り)をすぎると、火の見やぐらがあり、手押しポンプの消火車が「番小屋」に入っていた。大正十四年当時の消防団「第六部 桜 諏訪地区」の団員名簿が、南城教育振興協議会(会長 豊川 益太郎氏)の「花南の歴史 かわら版 収録」に載っている。

 桜の集落は大変火事が多かった時期がある。わたくしの同級生のお婆さんが、その家へお嫁に来られてから三度も火事に遭われたと聞いた事がある。わたくしも小学生のときに九軒もの家が火災にあって、風下にあった家だったので怖い思いをした。火の見櫓と番小屋は、今はない。

 第六部の団員名簿は、賢治が「羅須地人協会」をはじめた当時に何らかの係りを持った人々である。一部を記す。

 小頭       松田 徳松

 一等消防士  伊藤 治三郎   伊藤 磯治   神山 理蔵

 二等消防士  伊藤 熊蔵    伊藤 忠八   伊藤 豊吉

   この外に三十三人ほどの名が見られる。この人々の名前と駆け引きなしの人柄を知っている人にあわないと、「地人協会」と賢治との人間関係は見えてこない。むろん伊藤忠一さんや伊藤克己 伊藤清 伊藤与蔵さんたちもだいじだが、その親たちとの関連と、ある作用をもたらしている村人たのことも平行してみることが望ましいだろう。

 一例であるが、わたくしの家のきごやの軒下壁に、神楽に使用した「鳥の被り物」や、家には「小太鼓」等があった。祖母に聞いたら「昔は神楽を、お水ちゃんでよくやつたもんだ」と話していた。戦後まもなくまでは、「滝清水神社」(おみんちゃん)境内の東崖上側に、神楽殿があった。清水が湧き出ている水の上の所にである。神楽殿の北側の場所から、堤防土手づたいに「下ノ畑」への道は、北上川を利用する人や、外台の農作業に行く路でもあり、また「北上夜曲」を口ずさんで夕涼みながらの若者の散歩道でもあった。神楽殿にはよくカップルが見られた。桜に神楽や民俗的な催しが亡くなったのは「かくし念仏」がちからをえてからだ。「岩手の民俗」に何方かが以前「かくし念仏」が広まった地区に民俗芸能が廃れていった経緯についてと実態の調査とその報告論があった。  つづく

カンパネルラとモリス

 賢治のユートピアについて、森のミュージアム http://homepage2.nifty.com/sakunami

に大内さんが大変貴重な研究を発表されている。今後も研究がすすむようで、ご論考が記されるのが楽しみである。羅須地人協会についてのことは、後に触れたい。

 さて、氏のウイリアム・モリスのユートピアと賢治とについて、吉本論にふれておられるのでご覧願うとして、ここでは小野隆祥著「宮澤賢治の思索と信仰」の賢治のユートピアに目を向けたい。小野は「ユートピア意識を刺激しえた人物として修道士であり、反乱指導者でもあったカンパネルラを考える。」と指摘している(363頁)。作品論に沿った考えでの論である。上田哲や佐藤勝治の考えもあるのを、大内氏はどのように考えらるかを期待している。(マロリ・フロムの「宮澤賢治の理想」は他に記す)

2007-03-01

コメントお礼

 「壺中の天地」に貴重なるコメントをお書きくださったお礼を記したい。

 数度にわたってコメントを戴いた大内秀明博士からは新刊の「恐慌論の形成」と「ソフトノミックス」の二冊を頂戴した。高価な著書で恐縮の至りである。大内博士には東京大学出版会から「価値論の形成」と共著の「経済学概論」があるが、門外漢の小生には懐かしい思い出があるだけである。「価値論の形成」は宇野「価値論の研究」とを対比して誰かが話をしていることをこんかい思い出させてくれた。(「賢治とモリスの館」にお書きになられているご研究には、小生の思いについて後ほど書きたいと考える。)

 朝日新聞二十六日(月)に「経済学で何がわかるか」が出ていた。お読みの方も多いことであろう。これとは直接関連はないが、大内博士の「価値論の形成」は資本の価値増殖について働く者の交換における対立側の研究がどのようなものかを語っておられたように思う。新聞の論と博士の研究とを今一度考えてみたい。

 賢治の「雨ニモマケズ」に、「アラユルコトヲ / ジブンヲカンジヨウニ入レズニ / ヨクミキキシテワカリ」とある。ヤジュルの言葉からから、今回からは賢治の言葉にかえてわたしも「ソウイフモノニ 」なりたいをモットーとする。

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