フォト
無料ブログはココログ

賢治参考図書

  • Img_0215
    21年は一市は花巻村です。

« 火の見櫓 | トップページ | 活動的経験 »

2007-03-09

ジェイムズ

 「宮澤賢治の詩の世界」に、『ウィリアム・ジェイムズと「宗教のふるい分け」』と題して賢治とジェイムズについて、いままでの氏の論の総決算ともとれるようなお考えがのった。このコーナー(ホームページ)のオーナーは精神科医で、ジェイムズについては専門のぶんやである。わたくしは賢治を考えるときに真っ先に先生のこのホームページを利用させていただいている。医学についても賢治についてもまったくの素人の私がこれに触れるのは、きがひけるが意を決して少し触れたい。

 先生は2005.5.21年に「ウィリアム・ジェイムズ名前いろいろ」と題されて「春と修羅 第二集」の作品に触れ、「ジェムスの翻訳書は、この『宗教的経験の種々』である可能性が高いのではないかと私は思うのです。」と制作年代等に触れながらお書きになられている。

 わたくしはどうも先生のご指摘の本ではなく、比屋根安定譯「譯全 宗教経験の諸相(人間性の研究)」のほうではないのかと感じています。(いくつか写真を上げておきます)004 002 006 006_1 008 012 011_1 014 014_1

ここに四種類の本があります。ご覧になりにくいかもしれませんが少しだけ説明します。

 西田幾多郎の序がある「宗教的経験の種々」と、同じ西田の序がある「宗教的経験の諸相」は、発行所がちがうのと、訳者の序文のちがいだけで、内容は同じです。

 もう一方の比屋根の譯は、これも発行所がちがいますがなかの内容は同じで、新しいほうは索引があり便利かもしれません。(ここでは岩波の文庫本及び「全集」は別に考えます)

 西田が薦めるのには「漱石とジェイムズ」との関連や、賢治とにおよぼした影響はないとはいえないでしょうが、『種々』のほうには第十講までで、聖テレサや十字架の聖ヨハネの記されている第十一講から十五講までがないのと、それいごの「神秘主義」等がなかったのです。警醒社書店版は大正十一年十月発行ですから、こちらのほうが賢治好みに見えます。(ヨハネとテレサについては以前少し外で触れたことがある)

 賢治好みと書きましたので余談ですが、こんなことを思い出しました。大正七年六月九日にオストワルドの「無機化学原理」(英訳)を仙台で他の著書と一緒に買い求めていることが年譜に出ています。オストワルドの「近世 無機化学」は明治三十七年にそして、四十一年に再販された千六百頁もある本で 約七センチもある厚い本ですが、それを彼は見ているはずであるにもかかわらずであるのです。池田菊苗の訳は「売価金四円五十銭」であった。仙台での賢治は「この時に買い求めた本は四冊 十六円五十銭で、なお二冊原書の取り寄せを丸善に依頼」とあります。(つづく)?

« 火の見櫓 | トップページ | 活動的経験 »

「日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

 しばらくご無沙汰をしてすみませんでした。「宮澤賢治の詩の世界」の浜垣です。
 このたびは、私のブログについて過分なお言葉をいただきまして、恐縮です。私はウィリアム・ジェイムズについては専門でもなくあまり多くを知らないのですが、読んでいるといろいろと興味はおぼえます。それに、最新の脳科学者が「意識」について考察する際に、しばしばジェイムズの言葉の引用から始めたりするところからなども、偉大な学者だったのだなあ、ということを感じています。

 さて、賢治が読んでいた『宗教的経験の諸相』の翻訳が、当時のどの本であったのかという問題について、貴重なご教示をありがとうございます。著作の内容を考えると、ご指摘のように比屋根安定訳『宗教経験の諸相』(警醒社)は全訳ですし、確かにこちらの可能性の方が高かったかもしれません。

 私が、佐藤繁彦ほか訳『宗教的経験の種々』(星文館)を候補として挙げたのは、ブログ記事中にも書かせていただいたように、著者の名前のカナ表記が、「ジエームス」と、最後のSを濁らずに記している本がこれ一冊だけで、賢治が「林学生」という作品中に書いているのと同じ表記法だったから、というのが一つの理由でした。しかし、これは別に決定的な根拠となるわけではありません。

 あともう一つの理由は、賢治がどうやってこの本を読んだのかという点からの推測なのですが、没後に整理された「宮沢賢治蔵書目録」にはこの本は入っていませんから、(実は所蔵していたが生前に誰かに贈ったという可能性は残るものの)賢治はこれを図書館で読んだのではないか、そしてそれなら上野の帝国図書館ではなかったか、ということを私は考えたのでした。
 ところで上の「林学生」の作品日付は1924年(大正13年)6月22日となっていますから、これ以前に賢治はジェイムズを読んでいたと思われます。
 それまでの賢治の上京時期としては、トシの看病のための1918年(大正7年)12月~1919年3月、家出した1921年(大正10年)1月~8月頃?、清六氏を訪ねた1923年(大正12年)1月4日~8日頃?の3回が、帝国図書館に行った可能性のある時として想定できます。
 ただ、このうち最後の1923年は、東京にいる間は清六氏と行動をともにしていたようで、全集の「年譜篇」には、一緒に食事をしたり国柱会館で観劇をしたという記載はあるものの、図書館に行ったという記載はありません。この時は、東京からさらに静岡県三保の国柱会本部へ行って、1月9日にトシの遺骨の一部を納骨して、1月11日に花巻に帰っています。
 一方、1919年と1921年には、賢治は帝国図書館を訪れていたことが、種々の資料からわかっています。
 そこで、訳書の刊行時期を見ると、星文館の『種々』は1914年(大正3年)、比屋根安定訳の警醒社版が1922年(大正11年)で、前者であれば賢治は帝国図書館で閲覧する機会は十分にあったが、後者だと1923年の上京時しかその可能性はなく、大著を読むにはちょっと苦しいかな、と考えた次第です。
 しかし、賢治がこの本を帝国図書館以外で読んだという可能性ももちろんありますから、上記の推測もさほど大きな理由にはならないと思っています。

 というわけで、私の考えていたことはこのような外面的な事柄が中心で、本の内容からの推測の方が、より本質的だと思います。この辺については、またいろいろとお教えいただければ幸いです。


 あと、「神秘思想」との関連についても私にはよくわかりませんが、ジェイムズが『多元的宇宙』の中でも強調していた「絶望に続いて起きる生の経験」というものは、ジェイムズも賢治もどちらも、人生の危機において劇的にそれを体験したところが、共通しているように思います。

 これはジェイムズによれば、「絶望の淵に立たされても、そこから新たな生の領域が拓けるという現象」で、「それは、別の幸福や力を手に入れる、息をのむような可能性です。この可能性は、われわれが利己的な意志を捨て、より高い何かのはたらきに身をゆだねるときに拓けるものであり、物理学や通俗的な倫理学からは想像もつかないような、より広い世界を示してくれる」のだと言います。
 ジェイムズに関しては、『宗教的経験の諸相』の第六・七講「病める魂」の最後の例として出てくるフランスの憂鬱病患者というのが、実はジェイムズ自身の1869年から1870年にかけての精神的危機の状態の描写で、彼はここから「自由意志」を信じることによって、「死から生への復活」を果たします。
 賢治の場合も、1914年春に盛岡中学を卒業した後、初恋にやぶれ家業を継ぐことへの嫌悪感もつのり、一種のうつ状態になっていたところ、『漢和対照 妙法蓮華経』を読んで異常な感動をおぼえ、「以来、生まれ変わったように元気に」(年譜篇)なったというのは有名な話です。
 もちろん、賢治はこれ以前も以後も、直接的に様々な神秘体験をしているということも大きいでしょうが、ジェイムズ同様、このような「再生体験」をした人というのは、人生観においても大きな影響をこうむっているのだろうと思います。

 思わず、長々と書いてしまいました。お許し下さい。
 今後とも、よろしくお願い申し上げます。

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/175783/14202157

この記事へのトラックバック一覧です: ジェイムズ:

« 火の見櫓 | トップページ | 活動的経験 »