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賢治参考図書

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    21年は一市は花巻村です。

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2007-03-05

火の見櫓

 豊沢橋を渡り、松原から旧国道の向小路(同心屋敷通り)をすぎると、火の見やぐらがあり、手押しポンプの消火車が「番小屋」に入っていた。大正十四年当時の消防団「第六部 桜 諏訪地区」の団員名簿が、南城教育振興協議会(会長 豊川 益太郎氏)の「花南の歴史 かわら版 収録」に載っている。

 桜の集落は大変火事が多かった時期がある。わたくしの同級生のお婆さんが、その家へお嫁に来られてから三度も火事に遭われたと聞いた事がある。わたくしも小学生のときに九軒もの家が火災にあって、風下にあった家だったので怖い思いをした。火の見櫓と番小屋は、今はない。

 第六部の団員名簿は、賢治が「羅須地人協会」をはじめた当時に何らかの係りを持った人々である。一部を記す。

 小頭       松田 徳松

 一等消防士  伊藤 治三郎   伊藤 磯治   神山 理蔵

 二等消防士  伊藤 熊蔵    伊藤 忠八   伊藤 豊吉

   この外に三十三人ほどの名が見られる。この人々の名前と駆け引きなしの人柄を知っている人にあわないと、「地人協会」と賢治との人間関係は見えてこない。むろん伊藤忠一さんや伊藤克己 伊藤清 伊藤与蔵さんたちもだいじだが、その親たちとの関連と、ある作用をもたらしている村人たのことも平行してみることが望ましいだろう。

 一例であるが、わたくしの家のきごやの軒下壁に、神楽に使用した「鳥の被り物」や、家には「小太鼓」等があった。祖母に聞いたら「昔は神楽を、お水ちゃんでよくやつたもんだ」と話していた。戦後まもなくまでは、「滝清水神社」(おみんちゃん)境内の東崖上側に、神楽殿があった。清水が湧き出ている水の上の所にである。神楽殿の北側の場所から、堤防土手づたいに「下ノ畑」への道は、北上川を利用する人や、外台の農作業に行く路でもあり、また「北上夜曲」を口ずさんで夕涼みながらの若者の散歩道でもあった。神楽殿にはよくカップルが見られた。桜に神楽や民俗的な催しが亡くなったのは「かくし念仏」がちからをえてからだ。「岩手の民俗」に何方かが以前「かくし念仏」が広まった地区に民俗芸能が廃れていった経緯についてと実態の調査とその報告論があった。  つづく

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