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賢治参考図書

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    21年は一市は花巻村です。

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2007-04-08

賢治と白菜

 昨年の暮れ頃に「下ノ畑」について書いたのですが、開墾地・汗と血の結晶の「畑」に、何を最初に蒔かれたのかについて、良く触れませんでした。賢治の自耕地で採れたものは、『734 [ 青いけむりで唐黍を焼き ] 1926,8,27, 』の唐黍トマトが最初にみえています。つぎに「白菜」が『春と修羅 第三集』の作品に出てくるのですが、この作品 『741 白菜畑』についてここで触れたいと思います。

 「新 宮澤賢治 語彙辞典」に白菜について記されていますが、この野菜について「中国原産で日本には1882(明治十五)年に入り、大正時代に全国的に栽培されるようになった。」とあります。「語彙辞典」に記されていることは間違いではありませんが、賢治が「下ノ畑」に白菜を作るのに、中国からの輸入種子を使用したのかどうかに付いては何も記されていません。ある資料によりますと「明治末期までは、日本では採種が成功せず、毎年種子は輸入されていた」とあります。賢治が「下ノ畑」で使用した(蒔いた)のは輸入種子であったのか、それともどんな種子を使用したのかを考えて見たいと思います。

 最初に奇異に感じられるかもしれませんが、白菜は当時の牧野植物図鑑には載っていません。きゃべつは「たまな 十字花科」として、賢治蔵書のなかにもあった牧野植物図鑑にあります。(最近の北隆館の牧野植物図鑑にはアブラナ科となっています) おなじアブラナ科の白菜については栽培法のおいたちが、採種場の栽培史として記されています。此処では日本での栽培史について、賢治との関連とおもわれる事だけを記します。

 宮城県において、明治二十八年に日清戦争から持ち帰った種子芝罘群を、仙台伊達家養種園の沼倉吉兵衛によって1920年に試作され、その後引きつづき渡辺穎二によってすすめられ、多くの「松島系品種」が育成されたとのことです。それまでの輸入種子は「種子一升が米一石に相当する高価なもの」であり、大正初期ころから各地で育種や採種の問題解決が急務とされていたといわれています。そして沼倉氏により「大正九年に『松島ハクサイ』と命名した。」品種が出来たのだそうです。こうして白菜の種子採種が、日本でも出来るようになったということです。(野菜園芸大百科17 農村漁村文化協会 第二版2004,3)(小学館や平凡社の百科事典にも白菜は出ていますが、採種年が曖昧な所が有ります)  

 宮城県や岩手県等が、いちはやく松島種子を取り入れた資料を探しましたが見つかりませんでした。賢治も白菜の種子には管見では何処でも触れていないようです。でもどうでしょう。このことは皆さんでお考えになられては如何でしょうか。 次に作品「白菜畑」を読んで考えて見たいと思います。

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