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賢治参考図書

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    21年は一市は花巻村です。

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2007-04-29

白菜追記

 浜垣先生のコメント、大変有難う御座います。私の説明不足、申し訳ありません。一部補足をさせてもらいます。

 白菜の品種は、(イ)芝罘郡 (ロ)加賀郡 (ハ)包頭連郡 (ニ)愛知郡 その他

各郡からの育成系統は省略します。(イ)芝罘郡系の「松島系品種」の説明を追記しますと、「郡としての最も明確な特徴は、1)葉肉がうすく葉数型であること、2)全般的に葉面のちぢみが強く、毛茸が多いこと、3)軟白に比較的低温を必用とすること、などである。」

 また、「結球形状では、抱合砲弾型から包被円頭型など、きわめて多数な変異を示すが、そのうち抱合砲弾型は他の郡にはほとんどみられないので、これは芝罘郡の一特徴とすることができる。」(前参考文献の品種特性と作方適応性より) 賢治の作品にあります両型が「松島系品種」に有ったのです。

 問題の(ハ)の包頭連郡は、野崎三号、雲仙包頭連、青邦包頭連、松島白色包頭連等ですが、この品種は東北では栽培が難しいと考えられています。007

左の写真で中程の山東型は、松島系品種を現していますが、これについては前回ご説明したので省略させていただきます。

次に「琿河か遼河の岸で」の解釈ですが、これはキーデンノとの関連からにても「北上川の岸」での比喩とわたくしは詠みますが、白菜畑との関連で詠まれるのはどうでしょう。「語彙辞典」にも力丸さんの引用がありますが、しゃれまでとは申しませんが一つ一つの作品を見極めてほしいと申しあげましたならば、苦言過ぎますでしょうか。

 わたくしは「下ノ畑」を賢治の作品にそって詠みたい。白菜や当時の育種学の研究者ではありませんし、ましてや賢治研究者でもありません。賢治の羅須地人協会当時からはあまりにも変わりすぎている現代のなかで、ほんの小さな地区のみしか知りませんが、それもボヤケてしまっています。ですからここに書きましたことが正しいなどではないのです。誰かがそう云ったとか、こう思う、詩の世界ですからどうよまれてもいいのですが、在ったか無かったかとか、検証云々については、詩的言語ではないはずです。ですから文言については責任を感じていますが、わたくしにはそれを解く力はありません。「下ノ畑」を知りたいだけです。解らない事だらけです。ご質問の主旨に沿わないめんはご容赦下さい。

 

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コメント

 浜垣です。どうもご教示をありがとうございます。
 おかげさまで、松島系白菜にも、いろいろな形状に結球するものがあることが理解できました。
 私はどうしても「芝罘白菜」というと、「芝罘」という中国の地名を冠しているため中国産のブランドイメージができてしまっていたのですが、松島系の中にも、堂々と「芝罘白菜」あるいは「包頭連白菜」と名乗れる品種はあったわけですね。


 あと、「琿河か遼河の岸で」というのは、もちろん北上川の岸の比喩であると、私も思っています。
 作品の後半で、「きみはいま何をやっとるのかね」と船の上から軍人に聞かれて、賢治は「白菜を播くところです」と答えていますが、岸から遠くない「下ノ畑」の一角、「七四一 白菜畑」の舞台と同じ場所で、農作業をしていたわけですね。
 賢治が旧天王山のことを「キーデンノー」と言ったのは、力丸氏の言うような「しゃれ」ではなく、地元の呼び方をちょっと誇張したものではないかと私は思っているのですが、それはさておき、「キーデンノー」という言葉の響きには中国語的なところがあるので、賢治は北上川のことを琿河や遼河などという中国の川になぞらえ、白菜のことも「ペツァイ」と中国風にルビを振ってみたのでしょう。
 それもこれも、賢治がちょうど播こうとしていた「白菜」が、まさに中国原産の野菜だったから、きれいに舞台装置が整ったわけです。そうでなくて例えば西洋の花の種子などを播いているところだったら、賢治も「琿河か遼河」などという言葉は持ち出してこなかったでしょう。
 「〔何かをおれに云ってゐる〕」のこの箇所は、その白菜の種子そのものが国産だったか中国産だったかを何も示してくれるわけではありませんが、もしも中国産種子だったら、より「役者が揃う」のになあ、と私としてはまあ勝手に思ったまでです。
 先ほどのコメントの中にこんなことまで書いたのは、余計なことだったかもしれません。失礼いたしました。


 ただ、「別の作品を関連づけて読む」というのは、場合によってはあってもよいことだろうと私は思うのですが、いかがでしょうか。
 たとえば、4月9日の貴ブログの記事「白菜畑」では、「十いくつかのよるとひる/病んでもだえていた間」の意味について検討しておられますが、「詩ノート」の「七四五 〔霜と聖さで畑の砂はいっぱいだ〕」には、「おれの病気の間の幾つもの夜と昼とを…」という表現があり、さらに作品番号ではその直前に「七四四 病院」という作品があって、この頃に賢治は、入院か通院かはともかく、病院へ行ったのだろうと考えられます。
 問題の「七四一 白菜畑」は、賢治が久しぶり(十数日ぶり?)に白菜畑に来てみると、白菜が驚くほど成長していたという様子を描いたもので、そんなに長期間にわたり賢治が大事な畑に来なかった理由としては、「筋肉痛や強度の疲労」という程度にとどまらず、病院に行くほどの「病気」に罹っていたと考える方が、自然ではないでしょうか。
 ただし、貴ブログでも「白菜畑 II」に書いておられるとおり、このあたりの作品の日付や作品番号の錯綜は複雑で、まだいろいろな考え方がありうるとは思います。
 …などと、思わず他の記事に関するコメントまで、一緒に書いてしまいました。お許しください。


 今後も、いろいろな観点から賢治の作品に迫っていただけることを、楽しみにしています。よろしくお願い申し上げます。

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