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賢治参考図書

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    21年は一市は花巻村です。

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2007-04-09

「白菜畑」

 『春と修羅 第三集 「七四一 白菜畑」』は、研究者に数多くの論文がありますが、ここでは「賢治研究 94」{読書会リポート}を参照しながら、読み進めてみたいと思います。

 白菜から少し外れるのですが、三行目と四行目に「十いくつかのよるとひる / 病んでもだえていた間 」 とありますが、この表現について「すでにこの頃からこうした肉体への不安が、残された人生をどう生きるかという切実な問題を作者に強く意識させていたのかも知れない、ふとそんなことを思ったりした」との解説?があります。「病んでもだえていた間」とは、何も賢治晩年の「病」のことではなくて、<この当時ならば>(4・30日追記)「畑」を作るための「開墾」と言う重労働であった為の筋肉痛や強度の疲労を詠んだものではないかと思います。

 「 千の芝罘白菜は / はじけるまでの砲弾になり / 砲頭連の七百は / 立派なパンの形になった 」 (七行めから十行目)。 「芝罘白菜」と「包頭連」白菜については「語彙辞典」にも説明があります。これに少しつけ加えます。白菜の結球の形状呼び名にはいくつかの命名があったようです。「芝罘群」には、抱合砲弾型と包皮円頭型等があり、他の群にはみられない「芝罘群」の一特徴をなしていたといわれていたようです。次に「包頭連」白菜ですが、これは「包頭連群」白菜のなかの松島白色包頭連白菜と思われます。「包頭連」と賢治名記の「砲頭連」は、「パンの形」状が決め手ではないかと思います。「砲弾」の形と少し平べったい「パンの形」では、明らかに違いがあります。(松島白色包頭連白菜のこの品種は一時期{出始めの昭和初年頃}広く栽培されていたそうですが、純粋な形態では土着する事が出来ず、現在では改良品種ができているそうです)

 ここでだいじな事は、作者賢治は「芝罘白菜」と「包頭連」白菜とを知っていた事です。そして「千」とか「七百」と言うふうに明記している事です。次回は「千」と「七百」の作付けについて、概観してみてみたいと思います。

 

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