『「無何有郷」(むかうのさと)だより』
W・モリスの「無何有郷(むかうのさと)だより」布施訳は、管見では直接賢治との関連で採り上げられている論考は無い。
ただ 「賢治とモリスの館」の「堺利彦『理想郷』の検索」で、堺の抄訳「理想郷」(平民文庫)の解説の終わりに、「大正14年(1925)に布施延雄の訳もある。これは『無何有郷だより』と題されている。」と触れられているだけである。
「新 宮澤賢治語彙辞典」のWim.Morris の項には、
<前後略>欧米の芸術運動にも大きな影響を与えた。叙事詩「地上楽園」(1869~1870)や、彼の思想を盛り込んだ小説『ユートピア便り』(1890)等が主著。賢治が英語でそれらを読んだか、訳が出ていたのか未詳だが、大正期の評論に紹介や言及はされていたから、賢治のイーハトーブ思想や農民芸術観への影響関係はこれからの課題。 とある。
「無何有 之郷」 むかゆう(いう)のきょう(きやう)>むかゆう(いう)のさと。 煩わしいことの何もない所。無為の仙境。ユートピア。 {荘・逍遙遊}「遊、____」。 {万葉集・16}「心して_____に置きてあらば」。
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「賢治とモリスの館」の大内秀明です。小生のブログに触れて頂いたので、少し補足させてください。
堺の『理想郷』は抄訳であり、1920年に再版されたものは、かなり伏字が入っています。1925年の布施訳『無何有郷だより』が完訳です。1929年に村山勇三『無何有郷通信記』(世界大思想全集)これも完訳です。
賢治が『ユートピア便り』を読んでいた、あるいは知っていたとして、どれだったのかは賢治が書き残していないので、また状況証拠も無いので、確定できないと思います。原文か翻訳か、どの翻訳か?解りかねます。布施訳の可能性が高いとは思いますが、確証が無いので何とも言えないですね。
いずれにせよ賢治がモリスから大きな影響を受け、羅須地人協会や農民芸術論が書かれたことが重要だと思います。なお、翻訳については、当時の思想統制があるので、原文とよく対照する必要もありますね。ご参考までに、今後とも宜しく。
投稿: 大内秀明 | 2007-09-01 14:24
「賢治とモリスの館」の大内博士より貴重なるコメントを頂戴した。ご指摘のように「確定」は出来ないし、また「原文か翻訳か、どの翻訳か?」確かに確証は無いのです。
本間久雄訳「吾等如何に生くべきか」(大正14年東京堂)や「無何有郷だより」が、「岩手国民高等学校」で語られた時期からいって考えられる等の、あくまでも推定であって、「世界大思想全集」の昭和4年の著書では無いと言うだけです。
(大槻訳 芸術のための希望と不安 不見)
産業革命直後の社会状況に鋭いメスを加えたモリスやラスキンの、人間の尊厳を高唱した二大天才の豊かな思想は、現代社会の矛盾を解明する鍵ともなりましょう。是非「賢治とモリスの館」での確たるご論考をご期待申し上げたく存じます。
今後ともご指導の程宜しくお願い致します。
投稿: 壺中人 | 2007-09-02 18:02
「無何有郷」は前例に、万葉集 16 3851 に有る
[訓読] 心をし、無何有の郷に置てあらば、藐孤射の山を見まく近けむ
[仮名] こころをし、むかうのさとに、おきてあらば、はこやのやまを、みまくちかけむ
雑歌 荘子 遁世無心
投稿: 壺中人 | 2007-10-13 17:06