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賢治参考図書

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    21年は一市は花巻村です。

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2007年9月

2007-09-23

 増水

  二十一日のニュースに、「北上川流域大雨による被害」が報じられていた。

 昨年の十一月初めに「増水」と「下ノ畑」に触れた。「春と修羅 第三集」の『 [ 七三○ノニ ] 増水』本文は、一見理解しやすい詩文である。しかし「校異」を読むとなかなか複雑であることが感じられる。此処では前回の補足をかねたわたくしの疑問を提示したい。

  詩文 三行目と四行目

  鉄舟はみな敝舎へ引かれ

  モーターボートはトントン鳴らす

 当時、鉄舟は工兵隊の舟であったと、わたしは簡単に考えていた。敝舎も工兵隊の兵舎と読んで、何の不思議とも感じていなかった。ところが「新 宮澤賢治語彙辞典」に「敝舎」の解説があり、そこには「敝屋(へいおく)」「粗末な小屋を言ったのであろう。」「北上川に架設された非常救急用の鉄のボートの格納庫をさしてのこと。」とある。 

 さて、校異 (2)下書稿(ニ)の手入れを読むと、「敝舎」の敝にママのルビがある。これは何を指し示しているかわたしには良く解らない。ただ、工兵隊の鉄舟であるなら、わざわざ北上川に粗末な架設用・非常救急用の格納庫などを作らずとも、直ぐ近くに兵舎があるので、敝屋などを作らずともと考えられるのである。下書きでは、[ 工兵たちの→削る ] 鉄舟は になっているのを読むと、明らかに工兵隊の関連で、兵舎をさしていると考えられる。

 「下ノ畑」は他にも書いたので省略する。

2007-09-16

南城組合

 「イーハトーヴォ」に、各地の賢治の会の所在地が載っている。「花巻賢治の会」は花巻町松原南城組合方)になっているが、そこの場所は、豊澤橋を渡って新・旧国道の三叉路少し手前左側ににあった。「○○日夜七時より南城組合楼上に開催す。」とある場所のことだ。昭和14年12月21日発行の第二号には、次のような記事が見える。 [ 花巻 ] 

  「六原青年学校教員養成所主事江刺家磐男氏は嘗つて青笹で部落更正に心血を注いで尽力した時の事を具に語り、作品第1090番を通じて賢治精神を強調し、又農村青年の心理を語つて、会員一同時の経つのも忘れて談じ合い近来にない会であつた。参会者35名。」

 さて 此処で記されているこの作品 1090 [ 何をやっても間に合わない ] は、「カタログを見てしるしをてけて グラジオラスを郵便でとり 」が載っている作品である。十字屋版と「校本全集」との内容は、後部のところが若干のちがいがある。「約五字空白」が十字屋版では「ありふれた」になっていて「そのありふれた仲間のひとり」となっている。最後の所は「何をやっても間に合わない」のくり返し部は無い。 35名の参加者は、第四号に載っている27名より多い。この他の所にも「イーハトーヴォ」に記載されている人で、私の知っている人も何人かはいるが、羅須地人協会を語るのに、これらの人々を出来うる限り今のうちに記録していてもらいたいものだと思う。  

2007-09-13

労農詩論三講

 桜の詩碑の隣に住んでいた伊藤忠一さんが書き残した、「労農詩論三講」 があるります。

 「イーハトーヴオ」 第四号(昭和15年2月21日発行)には、「芸術の定義」のところに次のように書かれている。

  トルストイの芸術定義

 芸術とは情緒を他人に感染せしむる手段である。

  ブハーリンの芸術定義

 感情社会化の手段である。

  ウイリアム・モリスの定義

 労働に於ける愉悦の表現である。

    快 = 苦痛ヲモ享楽ス + 同情

 創造には個性を有す、そして理想を有す。

 即ち一つの夢であって、無限性を有す。

 理想は個性を通し言葉音楽となりて表現さるゝものである。

 リズムの有る語・・詩である  

                        後方

      理想   ----  感情                                         

 詩とは・・胸一杯に溢れて一定のリズムを以って溢れ出ずるもの。 

(配置 線構造図は概念図です。記 ブログ作者)

 忠一さんのこの「労農詩論三講」は、次のような書き出しで始まっています。

「この稿は昭和元年二月羅須地人協会の集会の日、宮澤先生が「地人芸術論」として口述されたものを聴いたまま筆にとまつたままの記録であります。先生は、要項だけをボールドに書き、まだ草案に過ぎないから、筆記してはいけないと申され、当時の私には、この講義はむづかしすぎて途中でいねむりしたりしていたのですから、よろしく御判読願ふ次第であります。」<以下略>

 

 「農民芸術概論」等に関連しての見逃しの出来ない参考資料の一つでは無いかと思われる。

2007-09-09

室伏のモリス観その他

 「農民芸術概論」と「土に還る」との関連については、上田哲氏の論考に詳しく、これ以上につけくわえることは無いのですが、室伏の次のような文があったので参考までに記す。

 「第四章 機械の論理」 「[一] 近代文明は機械の結果である。」と書き出し、結びは「ロオド・バイロンは晦々たる短見者流である。ラスキンは田舎者、モリスは天保銭、トルストイは正にイワンの馬鹿である !」(前回の写真8枚目)。

 「倫敦が幾つかの田舎町に分裂し、商業中心地が貧民住宅地となり、牧場ができ、田園が起こり、ウエストミンスタアが肥料市場と化した。---モリスの記しているところは、われわれの世に、永久きたることなきユトピアであろうか。」(106頁)

 モリスの名前は外にも見られるが、次にアダム・スミスについての室伏の採りあげているところを紹介しよう。

 「資本主義の時代においては、農場は最も不利益な企業である。アダム・スミスの時においてさへ、彼がその民冨論で述べているところによれば、農業は既に欧羅巴における最も不利益なる企業であった。今日は益々その度を高めてきた。農村飢えて死なんとするは、たヾ小作農だけであるのではない。自作農と雖も、地主と雖も、苟くも農業企業にかかわるかぎりにおいて、今日は最も多くの不利益を分配されているのである。農業それ自身が貧困なのだ。都会のそれに比べて、農村それ自体が窮乏なのだ。」(262頁)

 ところで次に、多田幸正氏が「宮澤賢治とウイリアム・モリス ー<芸術>と<労働>の関連についてー」の論考が有る。以下少々長いが引用するのでお付き合いをお願いしたい。

 「モリスの芸術観=労働観について説明しようとするとき、もっとも簡にして要を得た便利な言葉が、」「芸術とは、人間の労働における喜びの表現である」。「これは先の室伏の『文明の没落』にもひかれているものだ。たったこれだけの短い言葉だが、ここには確かにモリスの芸術観ー労働と芸術についての考えが集中的に表現されている。」「この労働の喜びの論理は、モリスが芸術を考える際の中心的な問題というべく、彼の著述や講演の中で繰返し論じられている。例えば、『民衆の芸術』では、『私の理解する真の芸術とは、人間が労働に対する喜びを表現することである。その幸福を表現しなくては、人間は労働において幸福であることはできない』とし、さらに『この真の芸術とは、それを制作する人にも、それを使用する人にも、幸福なものとして、民衆により、民衆のために作られた芸術である』とのべている。モリスにとって斯かる芸術こそが、『存在しうる唯一の真の芸術』であり、『世界の進歩の障害ではなく、手段となる唯一の芸術』であった」(日本文学 1981・10 67頁より)

 「モリスもまた、土地を耕すことがあらゆる仕事の中で『最も必要で最も愉快な仕事』(「有用の仕事と無用の労苦」)だといい、農作業をして、人間が『みずから進んで精力を用いることを楽しいと考え』(「芸術の目的」)る理想的な仕事であることを強調している。いや、『ユートピアだより』に描かれている乾草刈りの場面を一読しただけでも、モリスがいかに農作業のような野外の仕事を重視しようとしていたかがわかろうというものだ。そこでは(もちろん、ユートピアの世界においてだが)、人々は陽気に語り合いながら、『ゆっくりと、しかも上手にたゆみなく働いてい』る。その仕事が『楽しい習性』とさえなっている。彼等は、この乾草刈りの仕事をも含めて、あらゆる労働の中に『自覚された感覚的な喜び』を見出しているのであり、言うなれば『芸術家としての仕事をしている』のである。」(同70頁より)

   多田氏はモリスの引用文献として、

 本間久雄訳「吾等如何に生くべきか」(東京堂書店 大正14)

 大槻憲二訳「芸術のための希望と不安」(聚芳閣 大正14) 

  [ 「民衆の芸術」と「ユートピアだより」は、岩波文庫を参考にされたのか。]

 モリスの「無何有郷だより」と,室伏の「土に還る」はこのへんでわたしの作文はお終いにして、この後はこれについての興味のあるかたの皆さんにお願いといたします。

2007-09-08

宮澤賢治の室伏論メモ1

  室伏高信

土 に 還 る  

  「汝は面に汗して食物を喰ひ終に土に帰らん。汝はその中より取られたればなり。」

         一

 都会万能の夢は破れた。都会万能主義の行詰まりは最早やあまりに明らかになつてきた。十九世紀が農民没落の時代であつたのに対し、二十世紀は都会没落の時代であるべく、凡ての徴候が既に熟した。

 人々の眼は期せずして農村に向かつてきた。政治運動も社会運動も若しくは芸術上の傾向さえも、今や漸く都会から農村へと彼等の視線を移したきた。  (本文243頁から)

 宮澤賢治

(イ)「農民芸術概論」と(ロ)「農民芸術概論綱要」と(ハ)「農民芸術の興隆」という三つの稿がありますが、(ロ)「農民芸術概論綱要」の中の「序論」の次にある「農民芸術の興隆」と、(ハ)「農民芸術の興隆」の最後の行に、

 都人よ来ってわれらに交れ 世界よ他意なきわれらを容れよ 

とある。 

 上田哲著 「宮澤賢治 その理想世界への道程」に、「宮澤賢治と室伏高信」-「農民芸術の興隆」における賢治の文明批評ーがある。

 上記の [] に、「文明の没落」や「土に帰る」の『本には直接的に「農民芸術概論綱要」や「農民芸術の興隆」と符合するような文や語句は見つからなかった』としながらも、『室伏高信の宮澤賢治への影響は否定できない』としている(264頁)。またさらに「羅須地人協会での農耕生活の実践により影響を与えているようにも思える」とも結んでおられる。

賢治はこの「農民芸術概論」で、農民としての直接呼びかけている語句は一箇所、次のように呼びかけているところが有るだけだ。

  農民よ奮い立てそしてわれらの---の表現を持て

農民芸術を説くのであるからわざわざ農民と記さづとも われら で良いのであるが、これは賢治は農民であるとしての自覚からとして捕らえてよいのであろう。賢治が農民かどうかは別としてもである。

 [] には「文明の没落」の解説と、更に緒論との関連の解説をされた後、「土に帰る」にも触れている。些細な事であるので恐縮だが、ニ三気が付いた事を記しておく。

 私の所に有る大正拾五年五月二十日版(昨日の写真参照)は 定価 金一円六十銭になっている。この本は増補版であるのか。解説によると定価が一円とあるが。また発行部数に付いても分かりにくい。一万一千部掛ける三十版の数は少々多すぎるかもと思われる。

 次に本文の三百七十四頁に記されている所に、おそらくミスプリだと思われるが、267ページの鍵がは「霊が、」で、272ページは「281ページ」の間違いであろう。(わたくしの本が違うのかもしれないが)

 上田氏の論は羅須地人協会に付いての解説が良くなされている。「語句の一致点はなかなか難しいと思える」事に付いては、わたくしだけではなさそうで安心させられた。

2007-09-07

「土に還る」

 モリスの「無何有郷だより」を前回採りあげたのですが、誤解を招きかねない記しかたがありました。それに付いての補足は何れかのきかいに譲るとして、今回は室伏高信にふれてみたいと思います。

 「『農民芸術概論』三篇、とりわけ『農民芸術の興隆』には、室伏の影響がある」とされ、西十二丁目の伊藤清一さんの「筆記帳には、室伏高信の名がはっきり記されており、賢治の講義中に、その名を挙げて説明を加えたことを示している。」と言うことです。(新修  宮澤賢治全集 第十五巻 解説 入沢康夫)

 此処では、室伏高信著「土に還る 文明の没落第二巻」の写真の一部を紹介いたします。

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 次回写真についての若干の説明をしたいと思います。

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