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賢治参考図書

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    21年は一市は花巻村です。

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2007年12月

2007-12-16

加藤謙次郎「証言」

 水野達朗氏の 「賢治の『勉強』 -外国文学・思想受容の契機」 と題して研究発表が、宮澤賢治研究会の例会で有りました。

 配布が有りました資料に、

 ①(明治四十四年度の二学期(又は三学期)に寄宿舎で同室した藤原文三の証言)として

 とにかく変わっていて汚れ物はかまわず押入れにつっこみ、教科書は見ず、「中央公論」の読者で、エマーソンの哲学書を読んでいたのに驚いた。<前後略>(新校本宮澤賢治全集 第十六巻{下}七二頁)

 ここで小生が、押入れについて一部誤った発言をしました。お詫びをして、次の資料をご提出します。記憶違いもあるやもと、お話しましたが、誤解が生じかねませんので、訂正をします。お話しました内容資料の出所は、以下の「証言」記事からのものでした。ご参照下さいますようお願い致します。

また、『あゝ青春 盛岡第一高等学校 白亜外史として』(毎日新聞社 盛岡支局)とお話しましたが、それでわなく、発行所は読売新聞社 盛岡支局でした。(最後の文章は 「治のすべてなんです」が追加してお読み下さい)Img_0002 Img Img_0001     <画像上、右クリックで「リンクを開く」から、移動でご覧下さい>    

2007-12-10

吉凶悔吝

 吉凶悔吝は、人の心と行動の循環を表していると云われている。

 「741 煙」の作品 校異下書稿余白に、(メモ)

    八幡社の杉

    吉凶悔吝 

 と記されているとある。

 「三集」を読み解くうちに、作者賢治のこの当時の深層心境の一端が、覗き見え隠れしている観があるのではないかと考えていた。

 「八幡社の杉」とは、作品内に「煉瓦工場の煙突」とあるから、小舟渡の八幡宮の杉の事である。

 この二つの語句の余白メモであるが、何時ごろ書かれたのかは、良く解らない。作品番号「741」は、「煙」と「白菜畑」のニ作品に付されている。このことから考えて、期間の幅はある程度の限定が出来得るとしても、「煙」との関連は否定できない時期であろう。

 「吉凶悔吝」も「雷沢帰妹」も、詳細な解説が「新 宮澤賢治語彙辞典」にあった。調べてみたら「新修 宮澤賢治全集」の「語注」にもある。ここでは語彙辞典の解説での、『咨』を採り上げて一考を試みる。 

 「校本全集」の編集者は、「咨」はママとしてある所を、「語彙辞典」では次のように記している。

   「心ノ趣ク所ニ咨ナレバ」(咨は旧・新校本全集では読めないで(ママ)印にしているが  謀、諮に同じで問いはかること、思いのままに行動すること)といった由緒正しい漢字の素養も、なかなかのものに思われる。

 前後は省略するが、語彙辞典の核心的解説の部分であると考えられるので、はたしてこの解釈でよいのかどうか。

 易の解説書等によると、「吉凶悔吝」に続いて「咎无し」(とがなし)の項がある。少し長いが引用する。

 易の中に咎无しと云う句が多々あります。説文には人に従ひ、各々に従ふ。各人相違ふなりとある。而して災なりとしてあります。元来の意義は人と人とが喧嘩する意味でありましょうか。易には其處々で解釈すべきであろうが、書経に天の咎めを降すと云ふが如き意味にとりて災の意にも、又人と人と相争ふが如く心的の争い、煩悶と解するも可なりと思ふ。終日乾々夕に惕若たれば厲けれども咎无しと云ふが如き場合には又過ちと解すべきであらう。過ちあれば煩悶し災い蒙むるから先ず何れにても大同小異でありませう。又咎めは病気と云ふ意味もある。漢字は全く代数的の文字であって、Xの値が幾つもある様でありますから其時々に従って解釈されん事を乞ひます。 (細貝正邦著 易の原理と其応用 大正六年十一月二十五日 三版 126頁)より

 尚 「咎」 キウ と 「咨(諮)」 シ に付いては、賢治蔵書中にもある「詳解漢和大辞典」の参照もなされていただきたいと思います。

 『易経』とのとの関連であるならは、咨(諮)ではなく、咎の使用が正しいと思われる。

 校本全集の編集者は(ママ)と記した事は賢明であと思う者でありますが、この解釈についての解明には、識者諸氏のご教示を賜りたい。(未完)

2007-12-09

{ 濃い雲が二きれ }

 今年も残りわずかになって来ました。なんとなく気になる「課題」がいくつかあり、何とかしなければと考えだけがよぎる。

 「735 饗宴」と「738 はるかな作業」の二つの作品の間の「736 { 濃い雲が二きれ } 」と言う作品もその一つである。「饗宴」と「煙」については、以前少し検討した。

 4月10日と4月12日に、ここのブログで、煉瓦工場と瓦工場の違いにふれた。小澤俊郎著「薄明穹をいく」におさめられている「煉瓦工場」のなかのことにふれたのであった。

 小澤氏は、「はるかなる作業」の作品と「煙」の作品は「一ヶ月後、同じ場所で似た題材を描いている」(88頁)としているが、賢治が「同じ場所で二つの作品を詠んだ」事なのか、それとも「二つの作品が同じ場所の事を描いたものなのか」についての、その曖昧さ加減を指摘したつもりであったのである。読み返してみると小生もいい加減なところだらけであった。

 前の二つの作品の間にある{ 濃い雲が二きれ } については触れずじまいであったので、このなかの四行目の「雷沢帰妹」に触れておこう。

 雷沢帰妹は易では次のように説明されている。

  帰妹は征けば凶。利しき攸无し。

  彖曰。帰妹は天地の大儀也。天地交はらざれば万物興らず。帰妹は人の終始也。征けば凶とは位當らざる也。利しき攸无きは剛柔に乗れば也。

  象曰。澤上に雷有るは帰妹。君子以て終を永くし敝を知る。

 {帰妹(きまい)はゆけば凶で、よろしきところがない。

 たんにいはくは、「彖傳からの卦形の配列」をいうのであろう。}

 他に「三だとさ」は、爻の名の三爻の事か。詳細は専門家にご教示をお願いしたい。

 蛇紋岩の青い鋸風に視えるシャーマン山は、九月の初めなのに日が射してはいるが、向こうはもう寒いのだと言う。早池峰山でもよいのだが、桜からでの見える山であるなら、朝ならば西の和賀仙人の鋸風の切り立ったあの山ではなかろうか。懐かしい山である。岩手山とほぼ同じ時期に、初冠雪が見える山でもある。此方の山から雲が出だすとあっという間に花巻から南側の平地の天候は、怪しくなるのである。

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