{ 濃い雲が二きれ }
今年も残りわずかになって来ました。なんとなく気になる「課題」がいくつかあり、何とかしなければと考えだけがよぎる。
「735 饗宴」と「738 はるかな作業」の二つの作品の間の「736 { 濃い雲が二きれ } 」と言う作品もその一つである。「饗宴」と「煙」については、以前少し検討した。
4月10日と4月12日に、ここのブログで、煉瓦工場と瓦工場の違いにふれた。小澤俊郎著「薄明穹をいく」におさめられている「煉瓦工場」のなかのことにふれたのであった。
小澤氏は、「はるかなる作業」の作品と「煙」の作品は「一ヶ月後、同じ場所で似た題材を描いている」(88頁)としているが、賢治が「同じ場所で二つの作品を詠んだ」事なのか、それとも「二つの作品が同じ場所の事を描いたものなのか」についての、その曖昧さ加減を指摘したつもりであったのである。読み返してみると小生もいい加減なところだらけであった。
前の二つの作品の間にある{ 濃い雲が二きれ } については触れずじまいであったので、このなかの四行目の「雷沢帰妹」に触れておこう。
雷沢帰妹は易では次のように説明されている。
帰妹は征けば凶。利しき攸无し。
彖曰。帰妹は天地の大儀也。天地交はらざれば万物興らず。帰妹は人の終始也。征けば凶とは位當らざる也。利しき攸无きは剛柔に乗れば也。
象曰。澤上に雷有るは帰妹。君子以て終を永くし敝を知る。
{帰妹(きまい)はゆけば凶で、よろしきところがない。
たんにいはくは、「彖傳からの卦形の配列」をいうのであろう。}
他に「三だとさ」は、爻の名の三爻の事か。詳細は専門家にご教示をお願いしたい。
蛇紋岩の青い鋸風に視えるシャーマン山は、九月の初めなのに日が射してはいるが、向こうはもう寒いのだと言う。早池峰山でもよいのだが、桜からでの見える山であるなら、朝ならば西の和賀仙人の鋸風の切り立ったあの山ではなかろうか。懐かしい山である。岩手山とほぼ同じ時期に、初冠雪が見える山でもある。此方の山から雲が出だすとあっという間に花巻から南側の平地の天候は、怪しくなるのである。
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