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賢治参考図書

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    21年は一市は花巻村です。

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2008-03-06

賢治の「下ノ畑」は?

 春と修羅第三集を語るときに、「下ノ畑」の解明が欠かせない。

[ 709 ] 1928,5,2 からはじまり、詩ノート[ 1092 ] 藤根禁酒会へ贈る 1927,9,16までを詠むとき、羅須地人協会活動での一つの基底であったからである。ここでは賢治が「農民となる」宣言をして開墾をした「下ノ畑」にふれたい。

 「下ノ畑」について菊地忠二氏は、四次元1963年4~5月号のなかに

     25アールばかり耕したもの

と、羅須地人協会の隣に住んでいる、当時の協会員であった伊藤忠一から聞いたとして書かれている。

 次は 佐藤成編著「宮澤賢治 地人への道」に、

    耕作した畑は二反五畝(25a)とも一反五畝(15a)ともいわれる。(270頁)と記されている。

 これらと大きくかけはなれた説に菊地正氏 伊藤与蔵さんよりの「賢治聞書」がある。

    先生が働いていた畑というのは、一町歩近くもあったと思います。畑は川流れ(川の増水度ごとよく流される場所)のところでした・・・(2頁)と書かれている。

 賢治研究の虎の巻として最も権威のあるとされている「新 宮澤賢治語彙辞典」には、残念ながら「下ノ畑」や「自耕地」については何も書かれていない。

 以前このブログに、伊藤与蔵からの「賢治聞書」一町歩耕作説に疑問を呈しておいたが、今回再び考えてみても、「下ノ畑」とその近所にある小笠原果樹農園の広さと比較してみても、賢治の開墾した「下ノ畑」の広さは、「賢治聞書」の一町歩説は在り得ない。

 菊地や佐藤が述べられているのが妥当であろう。

 現在 自耕地の場所の正確なことは、耕地整理により不明となった。

  [ 追記 菊地忠二著「私の賢治散歩 下巻」四十二頁にも有りました。]

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コメント

壺中人さん。お久しぶりです。
「下ノ畑」って、広かったのですね。
そこで主に何を栽培していたのでしょうか?
珍しい花の種や球根を取り寄せて栽培していたようですが、それだけではなかったのでしょう。

また「新宮沢賢治語彙事典」って、最も権威のあるもの?? なのでしょうか。
まあ、便利ではありますが。
壺中人さんのいつものlovelyアイロニーでしょうか?

nenemuさんへ

ご返事遅れまして済みませんでした。
ご覧下さいまして有難う御座います。
「下ノ畑」 仮に一反五畝前後にしても結構な広さですね。
キャベツや白菜・ヒヤシンス、どんな物が畑で育てられていたのでしょうか、皆さんに教えて下さいますようお願いします。
「東京農産商会」から取り寄せたのは、花壇用の商品だけだったのでしょうか。
是非イーハトーブ・ガーデナーさんにお教え戴きたいです。
またお立ち寄り下さい

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