松田甚次郎と南城小学校の事
太平洋戦争が始まってまもなくの頃だった。
宮沢賢治の羅須地人協会近くの南城小学校の校庭で、朝礼のときだったと思う。戦闘帽をかぶり、国防色の国民服姿の威勢のよい人が壇上で挨拶をされた。そしてそこでは食糧増産を熱っぽく話された。
小学校には、校庭の南側道路を挟んで学校の畑があり、ヤギやウサギ小屋等も有ったが、畑にはジャガイモ等が植えられていた。
畑の西側には杉が植林されていた。この杉林はまだ十年ぐらいしか経っていなかったように思う。二反歩程はあったと思う。ここをわれわれの見知らぬ先生が下見をされていたのであろう。ここの杉の下には笹も生えていた。見知らぬ威勢のよい若い先生は、この杉林の開墾の必要を説かれて帰られた。おかげと云うか小学生のわれわれは、来る日も来る日も先生やこずかいさんと一緒に木を切り、笹と木の根を掘り起こした。一年半に及ぶ開墾であった。
戦闘帽の威勢のよい見知らぬ先生とは松田甚次郎であった。松田を怨んではいないが、同じ山形の真壁仁氏とは思想的にも異なる。また両者は賢治に触れているが、わたしにはこのような事があったので松田を好きになれない。かっての軍国少年であったわたしがであるが。
(南城小学校⇒南城尋常国民高等小学校)
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