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賢治参考図書

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    21年は一市は花巻村です。

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2010年2月

2010-02-24

049 

   箒 ほうき

  宮澤賢治の羅須地人協会に詩碑ができてから何年くらいたった時期であったろうか。

 日曜日の朝、写真とおなじ箒をもって掃除に行ったある日の事であった。わたしらが帰るころになって清六さんが着物姿で だぁお ダァオ~~~と 歩いてと来られた。病み上がりのころだったのかも知れない。

 ときどき田中屋さん(高橋慶吾さんが居候していた店)で、飴玉を買ってきて、私等にふるまってくれた(飴玉は一銭で六個きたが、子供のわたしたちには一個まけてくれた)。

 田中屋さんは、牛乳やとうふも売っていたので、店を開けるのが、朝は早かった。(学校では神社仏閣などの朝掃除の奨励をされていた当時のはなしである。)

 さて、写真の箒であるが、最近見かけない。PC画像でもなかなかでて来ない。この箒は花巻の方に探して送ってもらった。「農協にお願いしてさがされた」そうである。

 農家では農事用の掃き掃除にはかかせない品であったのに、わたくしは、この箒の材料がなんという植物名で有ったのかは、雑木林でよく見ていたが知らなかった。

 板橋区立赤塚植物園に持ち込み教えを乞うてきた。

    つつじ科 ほつつじ

であった。お礼を申し上げたい。

  「むかし、ほうきに使ったことからヤマボウキとも呼ばれる。」とある本に出ている。

2010-02-01

宮沢賢治年譜めも

 

 ▼宮沢賢治研究 十字屋書店版(16.6.30第二版) 

  八月一日 岩手県稗貫郡花巻町豊沢町に、父政次郎、母イチの長男として生まれる。

 ▼宮澤賢治 佐藤隆房著 冨山房(17,9,8)

  {上文と同じ 但し 宮澤清六編と記されている}

 ▼ 宮澤賢治全集 別巻 十字屋書店版(19,2,28第一版) 宮澤清六編

   宮澤賢治研究と同じ  (註27,7、30第二版 藤原版も同文)

 ▼宮沢賢治全集 第十一巻 筑摩書房(31、    )

  八月二十七日 

 ▼宮澤賢治集 ポプラ社(33,10,5)

  八月二十七日、岩手県稗貫郡花巻市(とうじは町)に、父政次郎と母イチの長男として生まれた。

『{解説  賢治の生涯 宮沢清六 ・ 宮沢賢治の文学と思想 恩田逸夫 両氏の記事が掲載されている}。恩田氏は、二十七日説についてここで初めて書くことをきめたと思はれる。四次元(35年4月号)に投稿されたが、小倉氏は、当時佐藤寛氏とのなかが不和の為未見であった。小倉氏が資料とされている「はがき」は、切手金額等から推察するに決定的な資料にはならない。目白の切手館での教示による。』

 ▼宮澤賢治全集 第十一巻 筑摩書房版(34.5,10) 

  八月二十七日、岩手県稗貫郡花巻町に、父政次郎、母イチnお長男として生まれた。

 ▼ 年譜 宮澤賢治伝 堀尾青史著 図書新聞社(41,3,15)

  八月二十七日 岩手県稗貫郡花巻町大字里川第十二地割字川口町二九五番地(のちに花巻市豊沢町一三五番地となる)。{文庫本も同じ}

 ▼宮澤賢治全集 第十二巻 筑摩書房版(43,12,25)

  八月二十七日、岩手県稗貫郡花巻町大字里川 第十二地割字川口町二九五番地(後に花巻町豊澤町一三五番地となり、現在は花巻市豊澤町四の十一となる)に、父政次郎母イチの長男として、母の実家花巻町鍛冶町宮澤善治方で出生。

{大字里川の次の空きは、口の一字を入れようとしたと考えられる。堀尾氏はそのまま記した。一日市・小舟渡の川口と里川口の混同多し。角川地名辞典 近代 里川口「370頁」に明治二十二年~昭和三十一年の大字名とあるが、不明瞭でもある。ともあれ上記の清六氏の記は解りよい。}

 続く

 

 

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