箒
箒 ほうき
宮澤賢治の羅須地人協会に詩碑ができてから何年くらいたった時期であったろうか。
日曜日の朝、写真とおなじ箒をもって掃除に行ったある日の事であった。わたしらが帰るころになって清六さんが着物姿で だぁお ダァオ~~~と 歩いてと来られた。病み上がりのころだったのかも知れない。
ときどき田中屋さん(高橋慶吾さんが居候していた店)で、飴玉を買ってきて、私等にふるまってくれた(飴玉は一銭で六個きたが、子供のわたしたちには一個まけてくれた)。
田中屋さんは、牛乳やとうふも売っていたので、店を開けるのが、朝は早かった。(学校では神社仏閣などの朝掃除の奨励をされていた当時のはなしである。)
さて、写真の箒であるが、最近見かけない。PC画像でもなかなかでて来ない。この箒は花巻の方に探して送ってもらった。「農協にお願いしてさがされた」そうである。
農家では農事用の掃き掃除にはかかせない品であったのに、わたくしは、この箒の材料がなんという植物名で有ったのかは、雑木林でよく見ていたが知らなかった。
板橋区立赤塚植物園に持ち込み教えを乞うてきた。
つつじ科 ほつつじ
であった。お礼を申し上げたい。
「むかし、ほうきに使ったことからヤマボウキとも呼ばれる。」とある本に出ている。
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