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賢治参考図書

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    21年は一市は花巻村です。

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2010年7月

2010-07-10

鬼剣舞

http://www.youtube.com/watch?v=Fi16AHSWh54&feature=related

お勧めブログ

http://tonolove.exblog.jp/11517609/

2010-07-07

宿題

 

 このブログに戻ってきました。

 「宮沢賢治の詩の世界」のコメントに、三島さんを発見し、三島氏の新ブログを見ましたなら、この小生のブログに何かをの記したなら見られるようになっている事に驚いて、ここに謝りと、生来のズボラを反省して戻ってきました。

 三島さんに、佐藤勝治さんに付いて書くことを記したような、うる覚えですがあった。それでここで少しづつ思い出してみたい。笑覧していただいて、お付き合いをお願いいたしたく思います。

 わたくしは羅須地人協会の地、桜に生まれたという因縁もありましてでしょうか、最近、あなたは宮沢先生にお会いになったことがありますかと尋ねられます。いいえ、会ったことはありません、と申し上げております。

 わたくしは宮沢先生の作品に出会いますと、あらためて深く感動をおぼえますが、それはわたくしにとりまして、わたくしの過ごした当時の時空の、狭い範囲ですが共感が得られるそこの場所からきているのかもしれません。

 さて、わたくしと佐藤勝治さんとの出会いは、戦後間もなくです。花巻町長になられました北山愛郎さんを中心にしまして、コスモス協会という文化団体が、十四・五人程でしたか、作られました。佐藤さんとはそこでの出会いでした。とやがさき駅の近くに、体育館のような文化会館が作られましたが、東京から著名な先生を呼び講演会やら、又レコードコンサートなどをしたのですが、会議やポスター作りの場所は、町役場の町長の机の所でした。(町役場は現在保存されていますが、懐かしさを感じます)

 勝治さんは、太田の小学校を辞められて、一時期花巻に居られた頃です。

 その後、盛岡の材木町に、中古品のカメラを主に、カメラ店を開かれまして、それが大当たりでした。宮沢賢治の生家並び・豊沢橋方向三軒目の藤田屋写真館は、勝治さんの実家で、戦災前までは長兄が後を継いでいました。勝治さんの教師後の仕事の選択は、中古カメラ店でした。盛岡の材木町でのカメラ屋を行いながらの理想の夢を抱いて居りました。この事に付いては、おいおいに触れたいと思います。つづく

    

 

 

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