父の事故
わたくしの父は電気工事中に事故死をした。当時軍国少年であったわたくしは、国のために敵との戦での名誉の戦死でなかった父を羨やんでいた。
故郷を放れてからのだいぶ時間が経ってから、家庭団らんの明かりを灯したり工場の動力源や社会になくてはならない電気の仕事は、世の中に少しでも役に立っとのおもいと誇りの仕事での死であった父のことを知ったとき、わたくしはなにかほっとした。それいらい父の勤めていた会社に、少しの興味を懐いていた。
昭和二年七月に盛岡電気工業から盛岡電灯に改称され、昭和十三年十二月十四日に奥羽電灯に改称されるまえの盛岡電灯時代の高圧送電検査時の父の事故死であった。電気事業法により東北配電になるまえのことである。
盛岡電気工業のおこりの盛岡電気は、明治三十七年十万円の資本金で、岩手県最古の電気会社として社長清岡等で設立、38年9月に開業し、40年9月に宇津野発電所を建設、41年の時点で社長清野等、主任技術者坂本潔(岩根橋発電所の立役者 後に触れる)。供給地域は盛岡市他6ヶ村、発電所は築川に宇津野発電所300キロワットであった。
つづく
「日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事
- 父の事故(2011.01.06)
- 箒(2010.02.24)
- 松田甚次郎と南城小学校の事(2009.08.16)
- 休息・お詫び(2008.03.06)
- ドイツトウヒの森(2007.10.21)


コメント