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賢治参考図書

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2016-09-14

三峰山「日誌」と「四次元」

 「宮沢賢治研究 四次元 二百号記念特集(1968年1)」に写真掲載された「三峰神社社務所 大正五年『日誌』」は現在もたれかが持ち出して還されていない。これは大変大事な貴重な文化財で、明治拾年までのものは神田の八木書店より第十巻迄編集されてだされている。

 賢治研究者がこの「日誌」が「秩父記念 三峰山博物館」に無いことを知ったのは、研究会の有志がおとずれたときであったという。小倉豊文氏も参加されて居られて大変がっかりされたとのことである。 
 さて この「四次元」の発行者佐藤寛氏はどのような経緯でこの写真を入手されたのかは現在知る人はおられない。佐藤寛氏が亡くなられたからであるが、もしやとおもい以前知人にお願いして失礼とは思ったが、奥さん立会いの上でくまなく探されたが「日誌」は無かった。
この特集号「四次元」巻頭写真5頁目に掲載された三枚の画像は、三峰神社に行かれて写された写真かもしれないとわたしには思はれるもするのである。「三峰神社 山門」の写真もあるからである。ただ 雑誌からだけで見た限りではあるのだがはっきりしたことは解らない。
 「四次元」159号には『「三峰旅行」についての疑問』と題して奥田弘氏の論考が掲載されている。14頁の最後の行に 
   ところが、大正五年の「日誌」に次のように記されている。
とある。奥田氏は「日誌」をみているようである。この14行ほど前に
   三峰神社神官木村勝治氏の協力よるところが多い。
とあるのでわたくしは「秩父記念 三峰山博物館」に行ってその方面もお探しくださるよう事情をお話しして帰った。そのときには「三峰神社誌 講社編 三峰講調査報告書(長野編)」を頂戴してかえった。「四次元」200号記念は昭和43年1月発行で奥田氏の語論考の159号は昭和39年5月発行であり、「日誌」の写真より約三年半も前であるのであった。
 いずれにしても現在も「日誌」が残念ですがみつかっていない。
 
 

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