「宮澤賢治の詩の世界」に、『ウィリアム・ジェイムズと「宗教のふるい分け」』と題して賢治とジェイムズについて、いままでの氏の論の総決算ともとれるようなお考えがのった。このコーナー(ホームページ)のオーナーは精神科医で、ジェイムズについては専門のぶんやである。わたくしは賢治を考えるときに真っ先に先生のこのホームページを利用させていただいている。医学についても賢治についてもまったくの素人の私がこれに触れるのは、きがひけるが意を決して少し触れたい。
先生は2005.5.21年に「ウィリアム・ジェイムズ名前いろいろ」と題されて「春と修羅 第二集」の作品に触れ、「ジェムスの翻訳書は、この『宗教的経験の種々』である可能性が高いのではないかと私は思うのです。」と制作年代等に触れながらお書きになられている。
わたくしはどうも先生のご指摘の本ではなく、比屋根安定譯「譯全 宗教経験の諸相(人間性の研究)」のほうではないのかと感じています。(いくつか写真を上げておきます)
ここに四種類の本があります。ご覧になりにくいかもしれませんが少しだけ説明します。
西田幾多郎の序がある「宗教的経験の種々」と、同じ西田の序がある「宗教的経験の諸相」は、発行所がちがうのと、訳者の序文のちがいだけで、内容は同じです。
もう一方の比屋根の譯は、これも発行所がちがいますがなかの内容は同じで、新しいほうは索引があり便利かもしれません。(ここでは岩波の文庫本及び「全集」は別に考えます)
西田が薦めるのには「漱石とジェイムズ」との関連や、賢治とにおよぼした影響はないとはいえないでしょうが、『種々』のほうには第十講までで、聖テレサや十字架の聖ヨハネの記されている第十一講から十五講までがないのと、それいごの「神秘主義」等がなかったのです。警醒社書店版は大正十一年十月発行ですから、こちらのほうが賢治好みに見えます。(ヨハネとテレサについては以前少し外で触れたことがある)
賢治好みと書きましたので余談ですが、こんなことを思い出しました。大正七年六月九日にオストワルドの「無機化学原理」(英訳)を仙台で他の著書と一緒に買い求めていることが年譜に出ています。オストワルドの「近世 無機化学」は明治三十七年にそして、四十一年に再販された千六百頁もある本で 約七センチもある厚い本ですが、それを彼は見ているはずであるにもかかわらずであるのです。池田菊苗の訳は「売価金四円五十銭」であった。仙台での賢治は「この時に買い求めた本は四冊 十六円五十銭で、なお二冊原書の取り寄せを丸善に依頼」とあります。(つづく)?
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